ローマ人への手紙 5:8 しかし、神は、私たちがまだ罪人であった時に、キリストが私たちのために死なれたことによって、私たちに対するご自身の愛を証明してくださったのです。
「愛している」という言葉と「主の祈り」から始めましょう…
愛への造形。
今日は、愛への造形について話しましょう。 愛するとはどういうことでしょうか? あなたたちのためにすべてを捧げた、あなたのイエスである私以上に、それを知っている者がいるでしょうか。私たちは、愛をもって人を創造された神から来ましたが、人はその罪深さゆえに、この愛から転落してしまいました。人に罪が入ったとき、神の愛は衰退し、人が悔い改めるまでは神への愛は戻りませんでした。なぜなら、神の愛は常に被造物である人に対して存在しているからです。
まずお伝えしたいのは、もし誰かと一つになりたいと願うなら、その人は神の愛によって形作られなければならないということです。そして、この愛とは、神が人の人生において活動し、共にいてくださることなのです。これは、すべてのものを他者のために投げ出し、恐怖や絶望の瞬間であっても犠牲を払い、これらすべてを脇に置いて、他者のために自己を捧げることを意味します。だからこそ、真に愛することを知っている人は非常に少ないのです。心が常に神の臨在で満たされ、慈しみ、憐れみ、そして理解の実践によって満たされているとき、愛は犠牲の行為になると言えるでしょう。父なる神への愛を通じて平和が訪れるのであり、神を内に迎えることこそが、愛において実りある存在となるための鍵なのです。
覚えておいてほしいことが3つあります:
(1) いつも神に愛するための恵みを求めてください。この愛の形成において、あなたは私を必要としています。なぜなら、私は全人類に向けた愛の神だからです。
(2) 他者のために犠牲的な愛を捧げる責任を受け入れなければなりません。常に他者に仕えることで愛を示し、慈悲の行為の中に身を置きなさい。
(3) 父なる神があなたを造られた通りの姿、すなわちキリストの真の従者となること――他者への愛のために生きることです。
これら3つのことは不可欠です。私からあなたへの愛が偉大であることを信じ、知りなさい。子供たちよ、どうか父なる神がキリストにおいて造られた通りの人間になりなさい。あなたを創造されたという行為の中に、神が与えてくださった愛を感じてください。父なる神が望まれる姿を下回ることのないように。あなたは父への愛に満ちた神の子なのですから。私はいつもあなたと共にいます。
あなたの十字架にかかった王、イエス ✟